小学生がわかる三国志「初心者歓迎」
水元英登(みずもと ひでと)
継続課金型コミュニティ設計・管理
『三国志』って何なの?まだ三国志を知らないあなたへ。ある王家の末期、混乱した世の中に3人の英雄が現れ、三国時代の基礎を作るまでの物語をまとめました。
横山光輝のマンガ『三国志』60巻、陳寿の『正史三国志』を中学生までに読破した私による新訳をお楽しみください。
<もくじ>
- 1. 農民たちの不満が爆発 黄巾の乱
- 2. 正義の味方を名乗り武装するチャンス 反董卓連合軍
- 3. 曹操の大活躍 帝擁立から天下人へ
- 4. 1つの中国の中に3つの国ができる 天下三分の計
- 著者からお友達のみなさんへ
1. 農民たちの不満が爆発 黄巾の乱
昔むかし、今は中国と呼ばれている大陸にたくさんの人が住んでいました。
都の王宮では王様や大臣たちが贅沢な暮らしをしていましたが、それは圧倒的な多くの貧しい農民たちに支えられた暮らしでした。
不安で暴力が暴力を生み出す世界へ
それは記録にも残らない些細な行動から始まったものと思われます。
その日食べるものに困った村が隣の村を襲ったのかもしれません。
人々は理性を失い食料を求め、動物のように暴力で他人の資産を奪うようになりました。
ごく一部の人の自分勝手な行動により、今度は自分と家族の身の安全を守るために集団となり武装するようになりました。
そして、その集団を維持するために「もっと、もっと」と食料と安全な土地を求めて、他人を襲うようになります。
他人を襲うためには大義名分を掲げることで、自分たちの行動を正当化すれば良いことを発見します。
「イメージだよ、イメージ!今求められてるのはイメージなの!」
たくさん現れた武装集団の中で上手に人の心をつかんで人数を増やして大きな集団となったのが黄巾賊(こうきんぞく)です。
彼らは黄色の頭巾を頭に巻いて目印にしたことから黄巾賊と呼ばれています。
黄巾賊の掲げたスローガンが
「王様の天命はすでに死んだ。我々が今こそ立ち上がるべきだ!(蒼天已死 黃天當立)」
王様に苦しい生活をさせられていた農民たちは、王様に支配されない自由な世界を夢見て次々と集団に加わりました。
「ここまで世が乱れちゃうと、真実なんてねーよ。人は信じたい世界を真実だと信じるしかないわけ。」
王様は非常事態宣言を出す
暴力行為を繰り返し、日に日に大きくなる武装集団が国内にいることは王様にとって大問題になってきました。
王様は国の軍隊に黄巾賊の処分を命令します。
ここに軍隊と暴力集団との戦争状態が始まります。
この動きに「黄巾賊を退治する」という大義名分を掲げる武装集団が出てきます。
やっていることは黄巾賊とそんなに違わないのですが、黄巾賊という武装集団と黄巾賊に敵対する武装集団と国の軍隊という武装集団が現れ国は大変乱れました。
食べていくため、自分の身を守るため、武装しなければやられる暴力の世界です。
すべては貧しいことから始まった些細な暴走でしたが、国が崩壊してしまうような大事件に発展してしまいました。
黄巾賊はただの人の集まりだったので代表者の病死によって自己崩壊しましたが、乱れた国の状況はそのまま残りました。
2. 正義の味方を名乗り武装するチャンス 反董卓連合軍
黄巾賊(こうきんぞく)が崩壊したことによって自分たちの武装の大義名分を失った国の軍人たちは、今度は王様の周りで「大臣たちが王様をたぶらかしている」と言い出します。
国がこんなにも乱れてしまったのは、大臣たちのせいであると王宮の大臣たちの処分に乗り出します。
王宮の中は戦争状態となり、その混乱の中で軍事力にものを言わせて政権を握ってしまったが董卓(とうたく)という軍人でした。
董卓が王様を助けるという形で、一旦の平和や世の中が取り戻されたかに見えましたが、董卓以外の派閥の軍人は董卓にあごで使われるのは面白くありません。
董卓以外の軍人たちは「反董卓連合軍」という大義名分を掲げて集まり始めます。
「王様を魔王・董卓から救い出せ!」
実はこの反董卓連合軍の中に、この物語『三国志』を引っ張っていく主役たちがは集まってきていました。
その1人が曹操(そうそう)ですが、目立った活躍をするのはまだ先の話です。
連合軍の内部崩壊
有利に戦いを進めていた反董卓連合軍ですが、戦争が長期化するとそれぞれの都合を主張する軍人たちの間で対立が起こり始め、内部崩壊してしまいます。
董卓はその後暗殺されるのですが、どんなに評判が悪い支配者でもいないよりはマシ。支配者のいなくなった国の乱れた状態はますますひどい状態になっていきました。
各地で軍人たちが勝手に領土を拡大したり、戦争を始めたり、国は王様の命令が届かない無政府状態に陥ります。
3. 曹操の大活躍 帝擁立から天下人へ
曹操が実力をつける
再び世が乱れると黄巾賊(こうきんぞく)の残党が立ち上がりました。
この黄巾賊討伐が、反董卓連合軍で名を上げることができなかった曹操(そうそう)にとって絶好のチャンスとなります。
曹操はまだ小さな勢力に過ぎませんでしたが、この地域の黄巾賊と戦い、降伏させました。その中から精鋭を選び出し自軍に加え、彼らが引き続き武装して戦うことの大義名分を与えました。
彼らは地名から「青州兵」と呼ばれ、曹操の絶大な軍事力となります。
曹操はこの頃から人材を求め始めます。
身分も出身地も関係ない。求めるのは才能だけ。
怠け者の王様よりも、働き者の我々が稼いで何が悪い。目指すのは階級のない世界だ!
曹操の名前を広めるために常に敵を作る
小さな勢力に過ぎなかった曹操は、自分よりもメジャーな敵に挑み続けます。
勝手に王様を名乗った袁術(えんじゅつ)。
董卓を暗殺して、その後も裏切りを続けている呂布(りょふ)。
評判は悪いけれども世の中に名の知れたこれらの悪党と戦い続けることで、「曹操の下で働きたい」という優秀な人材が曹操に集まってくるようになりました。
武装して戦うことの大義名分と世の中に名を知らしめたい人が曹操に集まります。
今は全然儲かっていないけど、将来が楽しみな急成長株のイメージが強かったのです。
この時点では、本当にイメージでした。
曹操は決断をして王様を抱える
さて、一方、董卓が暗殺された後の都の王様の様子は...。
董卓政権は董卓の配下武将によって引き継がれていましたが、権力争いで都は内戦状態でした。
曹操はここで大きな決断を迫られます。
A. 王様を救出して世の中に天下人を宣言するか。
B. 王様には関わらず、このまま勢力を伸ばすか。
まだまだ小さな勢力の曹操は「とは言え私は弱者ですから」という立場が取れたのですが、王様を抱えるということは「天下を取る野心あり」と広く宣言することになります。
かつての董卓のように、他の勢力の批判の対象、妬みや敵意を一手に受けて立つ立場になります。
だからと言って、王様そのものには戦闘能力はありません。都も内戦状態ですから、王家の財産もありません。
あるのは王家のイメージ。
王様を抱えるメリットは、官軍になれることです。
国の正規軍として、逆らう者は「賊軍」として戦争を仕掛ける大義名分を自由に出したり引っ込めたりできるようになります。
結局、曹操は王様を迎え入れ、無限の戦闘人生を選びます。
曹操が九死に一生を得て中国の北半分を支配する
曹操にとって最大の敵は、数ある武装集団の中で最大勢力である北の袁紹(えんしょう)でした。
王様を盾にしても曹操に従わない袁紹を倒さなければなりません。
領土も、兵の数も、配下武将の質も、自分を上回る袁紹に対して、曹操は苦戦します。
「もうここまで来たら、ハッタリ負けた方が負けだから」
それでも曹操は袁紹との対決に突き進みます。
曹操が1つでも選択を間違っていたら、歴史は変わっていたことでしょう。
それくらい危険な戦いでした。
階級意識の強い袁紹は、大きな力があるので、正々堂々とした戦い方にこだわりました。
自分が王様になった時に歴史としてどう語られるかをもっとも大事と考えたからです。
勝つか負けるかが大事なのではない、下品な戦い方はせずに美しくなければならない。
曹操はその弱点を見逃さず、袁紹の食糧貯蔵庫を焼き払うことでこの戦いに勝ちます。
目的のためには手段を選ばないサイコパス、曹操。
これを境に曹操に対抗できる勢力はなくなり、曹操は長江より北の中国北半分を支配下に置きます。
4. 1つの中国の中に3つの国ができる 天下三分の計
引用:http://blog-imgs-44.fc2.com/g/i/n/gingerale19/20120613232340843.jpg
戦火を免れた南国が急激に発展
一方、北の勢力争いの影響がない長江の南。
北では人口が激減し、土地は戦場になっていました。
田畑は荒れ果て、人々は死ぬか南に避難するしかありません。
都のある北側に偏っていた人口が、この時期南に流れて来ていました。
長江の下流の河口付近には、人が集まり大都市がありました。
長江が運んでくる肥沃な土地に勢力を伸ばしていたのが孫権(そんけん)です。
父、兄から地盤看板を引き継いだ孫権は、父子三代に渡り地域密着型でしっかりと根ざしていました。(地盤=組織、看板=知名度。現代の政治用語)
北の魔王曹操が攻めてくる恐怖
多くの人口を抱える国では外に敵を作らないと不満は内に向くものです。
曹操(そうそう)は必ず下りてくる。
袁紹(えんしょう)が曹操に敗れると、南の緊張も高まりました。
ここでもう1人の主人公を紹介する時が来ました。
袁紹の下で保護されていた劉備(りゅうび)です。
王家の血を引く者を自称し、「王家の権威復活」を大義名分として活動する弱小武装集団です。
王家の血を引く者として、何をしても許される存在で、みんなが自分に尽くすことは当たり前だと思っている肝の座った男です。
これまでにニート同然で、曹操・呂布・袁紹のところへとなりふり構わず居候(いそうろう)を続けて来ました。
曹操と孫権を戦わせて漁夫の利を得る作戦に決定
劉備の考えは、国とは集団幻想に過ぎないのだから、自分がいるところに人が集まりすなわち国であるというものです。
国という巨大な生物がいるわけでもなければ、国という物体があるわけでもない。
王様を道具として利用し始めた曹操の暗殺に失敗して逃げて来た過去がある劉備としては、長江の南まで曹操に支配されては自分の居場所がありません。
そこで、孫権には頑張ってもらって、曹操を長江の北側に封じ込めることを思いつきます。
これは劉備の配下の諸葛亮(しょかつりょう。孔明=こうめいとして有名)の発案によるものです。
諸葛亮の提案はこうです。
いきなり曹操を倒すのは不可能。なので、曹操と孫権、そして劉備の3勢力で三脚のようにひとまず状況を安定させようというものです。
これを「天下三分の計」と言います。
歴史を動かした諸葛孔明のプレゼン
この計画の第一関門は、曹操に対して孫権が降伏することなく戦争にならなければなりません。
ただ、孫権みたいなタイプをその気にさせるのは簡単です。
父子三代の地域密着で、先祖から受け継いだ土地と領民を守っているタイプなんて、よそ者には無関心でも、身内には熱い奴に決まっています。
家族とか、ダチ(友達)のための話となると頭に血がのぼるものです。
諸葛亮は孫権のところへ行き、曹操に降伏したいなら2人の美女を贈り物として曹操に送れと挑発します。
2人の美女とは、孫権の亡き兄・孫策(そんさく)の妻と孫策の親友・周瑜(しゅうゆ)の妻のことです。
兄貴と兄貴同然の尊敬する2人の家族のことを言われて孫権は怒り狂い、曹操との対決を決意します。
このようにして、1つの国の中に、曹操・孫権・劉備の三国が成立する物語が『三国志』です。
著者からお友達のみなさんへ
ここからはちょっと難しくなります。(おとなの人と読んでくださいね)
この後、孫権を襲った曹操は赤壁という場所で敗れ敗走。
曹操の勢力圏を長江の北で食い止めることに成功。
劉備はこの争いの隙に、西へ進み一国を手に入れます。
曹操は「魏」を名乗り、孫権は「呉」を名乗り、劉備は「蜀」を名乗り三国が成立します。
この間も王様はいるんですけどね。
王様は400年続く漢王朝の皇帝で、のちに献帝と呼ばれます。
漢王朝は曹操の息子の代で魏に政権を禅譲。完全に滅亡するまで、曹操一族の支配下で存続を続けます。
漢王朝に対する3人の英雄の見解は、現代風にまとめるとこんな感じです。
曹操(魏):
漢王朝だとかそういう境界を超えて、中国全体で実力のあるものが上に立つ世界を実現するべきだ。怠け者の漢王朝よりも、我々が稼いで何が悪い。階級も聖域もなくすよ。
孫権(呉):
ウチラと世間とはあんまり関係なくない?昔からこの場所でずっと仲間との絆を大事にしてきたし、ウチラからも干渉しないから、ほっといてくれない?
劉備(蜀):
漢王朝こそが中国を400年に渡り治めてきた由緒正しい統治者であるのだから、国民は漢王朝の下にひとつになるべきだ。みんな法と秩序を守れば良い国になる。
あなたはどんな考えを持っていますか?あなたの価値観はどのようなものですか?
自分の場合に置き換えて、現代社会の生き方を考えてみるヒントとなれば幸いです。
P.S. 最後まで読んでくれてありがとうございます。
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