金曜ロードショーもののけ姫に合わせて緊急企画!ここだけは確認しながら鑑賞してくれ
水元英登(みずもと ひでと)
継続課金型コミュニティ設計・管理
今日の金曜ロードショーが「もののけ姫」だということで緊急復習企画をやります。もののけ姫にまつわる、いわゆる “ジブリ飯” の話。これをこの機会に確認して欲しいと思います。この人は敵なのか味方なのか?そんなことが食事シーンから見えてきます。
もののけ姫は食事シーンで未来が読める
みんな薄々気づいていることとは思いますが、ジブリ作品の食事シーンには根本的ネタバレに関わるような意味が込められているということについて、今日の金曜ロードショーで確認してもらいたいと思います。
早速、もののけ姫の名場面を具体的に思い出そう
もののけ姫は、1997年、宮崎駿監督によるスタジオジブリの長編アニメーション映画作品です。
もう時効でしょう。ネタバレは全開でいきます。
アシタカとヤックルの食事シーンから見える信頼関係
劇中の記念すべき最初の食事シーンは、少年アシタカが冒険の旅に出るため村を出た直後、かなり早い段階で出てきます。
なんとアカシシのヤックルの食事シーンです。アシタカが左手に麻袋を持ち、右手でヤクルに中の餌を与えているシーンです。
ここで見逃してはいけないのは、アシタカがヤックルに与えた餌をその手でそのまま口に運んでいることです。
これはアシタカとヤックルとの信頼の証であり、劇中のもっとあとに頭絡(馬具)をはずしてサン(もののけ姫)に「好きなところに行き、好きに生きな」と言われても決してアシタカのもとを離れない、そんな成り行きを示唆しています。
また、ディズニー作品でもそうですが、動物に慣れられる登場人物は「絶対善」というルールがあります。
時に頭のネジが1つ取れているくらい、迷うことすらなく正義を貫きます。
この時点でアシタカは、どこまで行っても正義の味方決定と言うわけです。「くもりなき眼(まなこ)」と真顔で言うのも納得。
ちなみにその後、村での侍との戦に巻き込まれたアシタカでしたが、ヤックルの走りで切り抜けるシーンがあります。
その直後、小さな滝でアシタカが右手のあざを冷やすシーンがあります。
その時にヤックルは水を飲んでいます。これは、もう安全・安心な別場面であるという示唆です。
ジコ坊の人物像は1つの鍵
次のシーンでは、舞台が街に移ります。
立ったまま飯をかき込む旅人らしい男の横で、しゃがみながら飯を食べる赤い頭巾の怪しい男がジコ坊です。
忙しく人が行き交う市中にあって、我関せずと腰を下ろしているところに、この男のつかみどころのなさや肝の据わった様子がうかがえます。
そして、出てくるセリフは「なんとも白湯(さゆ)みたいな米だな」。
自分の境遇やあとで明らかになる任務にも味気ないものを感じているようです。
そして、アシタカの姿を見つけると、ささっと飯をかき込んで箸と茶碗をそのまま胸元にしまいます。
やることが大味で、おおざっぱな男です。
アシタカとは同じ釜の飯を食う中にすぐになってしまいます。相手の懐に入るのは上手く、相当な修羅場をくぐってきているのでしょう。
アシタカは米を提供し、ジコ坊も完全におごってもらっているのではなく味噌を提供しています。
この共同作業・・・
最後の最後で完全な悪ではない、話がわかるキャラクターであることが示唆されています。
ちなみに、アシタカが見せた、タタリ神の体から出てきたと言う石の弾丸を箸で受け取るところといい、本当にデリカシーのないやつです。
タタラ場の善良なる市民
タタラ場では、夕暮れになると住人たちが仕事を終え、帰ってきます。そして城門が閉じられ、安全な内部では食事の用意がされ、あちこちで炊煙があがって、いい匂いがしそうです。
一日の仕事を終え、疲れを癒しながら笑顔で食事を取る牛飼いの男たちに、この場が豊かで、その市民である彼らは満たされ善良であることがうかがえます。
「ナゴの守(かみ)をやった時なんか、見せたかったけどな」と恐ろしいことを語る男もまったく後ろめたさも屈託もありません。
そして、この食事の場には石火矢衆の姿はありません。
やさしいもののけ姫の口移し
アシタカの「生きろ」に相当するのが、サン(もののけ姫)の「食べろ」ですね。
タタラ場でサンを助けたことで石火矢を受け致命傷を負ったアシタカをシシ神が助けたあと、サンは口移しでアシタカに木の皮のようなもの肉(複数の証言を得て修正)を食べさせます。
これでアシタカとサンは信頼のような、互いの敬意のようなもので結ばれます。
最後まで食事を取らないエボシ御前
一方でタタラ場のリーダーで、異様な美しさを見せるエボシは最後まで一度も食事のシーンを見せません。
タタラ場はエボシの生活の場であるはずなのに、一度も食事シーンがないなんて逆に不自然です。
キャラクターとしても、最後まで敵か味方かわからないエボシなのでした。
なぜ、もののけ姫は何度でも見れるのか
私がはじめて宮崎駿監督のスタジオジブリの長編映画を映画館で見たのは、この「もののけ姫」でした。
1997年のことですから、ほぼ20年前です。
それから何度テレビで再放送されているのでしょうか。今年(2016年)も、あと少しで「もののけ姫」がはじまります。
用意はいいですか?
私にとって、もののけ姫が何度でも見れる理由は音楽です。
あの音楽を聞くと、すっとあの世界に入っていけるのです。そして、当時の思い出が蘇ってくるのです。